『蜻蛉日記』
作者 藤原道綱の母
美人で和歌がうまい。プライドも格別高い。
本朝三美人の一人
夫 藤原兼家
摂関家の嫡流、時の右大臣の三男。
『蜻蛉日記』は道綱の母が待ち続けた21年間の
苦悩の記録である。
平安時代の貴族は一夫多妻制で通い婚。
19歳の時、兼家の妻になる。
当時の日記はその日のできごとを記録する
ものではなく「はかない結婚生活」が
この日記に一貫するテーマである。
ほかの女の家に行った2,3日後、門をたたく時がある。
あの人らしいと思うけれど、やりきれなくて、開けさせずに
いると、例の女の家らしい所へ行ってしまった。
なげ ひと ぬ よ あ ま
嘆きつつ 独り 寝る 夜の 明くる 間は
ひさ し
いかに久しきものとかは知る
「嘆きながら独り寝をする夜の明けるまでは、どんなに
長いものかをご存じでしょうか、門を開ける間さえ待ちきれない
あなたにはおわかりにならないでしょうね」
作者の子供は道綱ひとり。
元からの妻、時姫は道隆・道兼・道長・超子・詮子
三男二女に恵まれた。男子は摂関家の後継者
女子は入内し、女御になり皆華々しい栄達を
遂げたので、時姫は母として重んじられ、後に
兼家の本邸に迎えられる。
プライドの高い女にしてみれば、通い婚は
辛いものなんでしょうね。
ハナミズキには赤い実がなるんですね
ありがとうございました。
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